野村克也の目、落合と清原の評価wwwww

引用元: 2ch.net
ガサツな神経では一流になれない
「野村克也の目」などと偉そうにいっていたのが恥ずかしい。わが眼力も、あまり当てにならないのではなかろうか。
三冠王に王手をかけるロッテの落合にTBSテレビの番組「スポーツデスク」でインタビューした私は、自信をなくし、落ちこんでしまった。
私がマスクごしに、またネット裏から観察してつくりあげていたイメージと、実物がまったく違っていたからである。
私は現役最後のシーズンに、西武のキャッチャーとして、この男を何回か打席に迎えた。私が受けたピッチャーは松沼の兄弟だったが、
落合にはほとんど打たれなかった。ロッテの打撃コーチが、「ノムさん。たいがいで勘弁してやってくださいよ」というほどだった。
私は例のごとく、この男が打席でボールを見逃したときの体勢や空振りの仕方から、どういうタイプの打者なのか、カルテをつくっていた。
当時のカルテは、「狙いダマをしぼり、右へ流すか左に引っ張るか、打ち方も決めてかかる。ごく平均的な右の打者」となっていた。
打たれなかったのはカルテが正しかったからだし、診断の正しさは、現在も変わりがないはずだと思っていた。
ところがインタビューしてみると、私の、とんだみたて違いであったらしい。
私が、「お前はホームランの六割が右方向だけど、あれは右へ狙って打ってるんだろう」と聞くと、
「狙ってないですよ」という。
びっくりして聞き直すと、「ほんとですよ」という。
「じゃあ、狙いダマはどうやって決めてるんだ」と聞くと、
「狙いダマなんてないですよ。ぼく、いつもストレートしか待つてないですよ」という。
そんなはずはない。ウソをついているのか。
打者として狙いダマをどう絞るかは、いわば企業秘密だから、ウソをいったとしても責めるわけにはいかない。
しかし、落合の打ち方はアッパースイングで、アッパーは概して速い球に弱い(実際、落合が今の打ち方で巨人の江川や
中日の小松の速球に向かったら、現在のような成績は残せないだろう)。弱いとなれば、そのポールをマークするのは自然だ。
となると、ウソをついているとは考えにくい。それでも、しれっとウソがつける、それほどの大物とは、なおさら考えにくい。
要するに、私が思い描いていた打者ではなかったようなのである。
「ぼく、練習は嫌いです」と、はっきりいう。
──パットの素振りはどうなんだ
「いえ、やったことないです」
──じゃあ、生まれたまんまで野球やってるのか。親に感謝せにゃいかんな?
「はい。ぽくもそう思います」
私はタメ息が出た。
だれしも練習は嫌いだ。嫌いでも、やらなければうまくなれない、だから練習をする、というのがほとんどだろう。
私もそうだつた。しかし、口が裂けても「練習は嫌いです」とは言えなかった。不遜なような気がしたからである。
それを、「ぼく、練習は嫌いです」と、さらりといってのける落合に、私は半ばあきれ、半ば感心した。
この男は、たまたまそこに野球があったからやっているだけで、もともと、野球がそれほど好きなわけではない
生い立ちを聞くうちに、そんな気もした。
落合は秋田工高から東洋大に進み、野球部に入ったが、一年で中退した。辞めた理由がふるっていて、
「野球部のキャンプにいったら、タマ拾いと草むしりばっかりで、いやになった」からだそうだ。
秋田に帰ってプラプラしていたが、「いつまでも親のスネをかじっているわけにもいくまい」
という人に勧められて、東芝に就職する。野球をする気はなく、一工員としてである。
そのうち、「前に野球をやってたのなら、またやってみないか」と誘われて、東芝の野球部に入った。四番を打っていた。
──そのころはどうやった?
「はあ、打ちました」
プロに進むことなど考えてもみなかったが、ロッテに指名されたので入った、という話だった。
こういう生い立ちを聞くと、三冠王という大タイトルが目の前にぶらさがっているのに、
落合があっけらかんとしていられる、私の目には、あっけらかんを通り越して、他人事のようにしていられる、
そのわけがわかるような気がする。野球について、またパッテイングについて、悩んだり、思いつめたりすることがほとんどない。
私のように、野球にすべてを賭ける必要がないのだろう。ひとことでいうと世代の差というやつなのかもしれない。
私など、とてもこんなふうにはいかなかった。
シーズンの開幕が近づくと、「今シーズン、おれはホームランなんて一本も打てないのではないか」と、怖くなる。
二、三試合ホームランが止まれば、「もうこれっきり打てないのではないか」と、夜も眠れなくなる。
不安を消すために、辛いけれども人より余計に練習をし、家に帰ってからもパットの素撮りが欠かせなかった。
私ばかりではなく、王もそうだつた。王がプロ入りして二十六打席もノーヒットだったのは有名だが、
私も、二軍から一軍に上がって初めての打席の緊張感はいまだに忘れられない。真っ青な顔をして、プルプルふるえていた。
それを見て監督が、「まあ、しゃあないわ。だれでもそうなんや。三振してこい」といってくれた。
ホームラン王や打点王のタイトルが獲れるようになっても、残り試合が少なくなって、タイトルを争うライバルが
はっきりする時期がくると、毎朝開くスポーツ新聞の記録が気になってならなかった。
打席に入るとき、「タイトルを意識してはいかん。妙な色気は持つまい」と、言い聞かせるのだが、
そう思えば思うほど、意識過剰になって打てなくなる。
昭和四十年の三冠王を獲ったシーズンはことにひどく、意識過剰が災いして、打率が見る見るうちに下がってしまった。
あのシーズンは幸い、榎本、張本、ブルームといった首位打者争いの常連たちが不振だったおかげで、
なんとか三冠王が手にできたが、あの苦しさはいまだに忘れられない。
ところが落合ときたら、「他人の記録ですか?そんなもん見ないですよ」という。
三冠王でライバルは、と聞けば、「強いていえばホームラン王のタイトルでソレイタですかねえ」と、落ち着いたものである。
だいたいこの男は、一軍に上がった次の試合で初ヒットを打ち、その次の試合ではもう初ホームランを打っている。
初ヒットが出るまでに二十六打席も費やした王や、憧れの一軍の試合に震えた私などは、すっかり過去の遺物になってしまったのか。
こんな感慨にふけるのもつまりは世代の差、こちらが「オジン」になった証拠なのかもしれない。
しかし、さすがの落合も、守るほうには自信がないらしく、「ぼく、もともとがサードだからセカンドには向いてないんです」といった。
──じゃあ、どのポジションが向いているんだ?
「ファーストです。ファーストならダイヤモンド・グラブ賞を獲ってみせますよ」
この答えを聞いて、私は、「お前、ダイヤモンド・グラプまでは、思っていても口にするもんじゃないぞ」
といってから、「しまった。余計なことをいった」と思った。
落合この頃からこんなだったのか
賞が果たして獲れるかどうか、客観的な評価など関係がない(私は、ファーストでも落合にはダイヤモンド・グラブ賞を獲るのは
むずかしいと思う)。他人がどう思おうと、胸の内を素直に語るというのが、今ふうというやつなのだろう。
落合もしかし、インタビューのあいだじゅう、私にタメ息をつかせ、世代の差を見せつけていたわけではない。
今はやりの「管理野球」に水を向けると、「門限とか決めて守らせるのはぼく、アマチュア的だと思うんです。
プロは、遊ぴほうけて飲んだくれて成績が下がれば、当人に報いが返ってくるわけだから、放っといていいと思うんです」
といった。
私もそのとおりだと思う。
この男は野武士のようなごつい顔つきから、たいそうな酒豪のように伝えられているが、確かめてみると、
「無茶な飲み方はしません」という返事だった。
プロは他人に管理される必要はない、といいきるぐらいだから、翌日のプレーに差しつかえるような飲み方はしないのだろう。
去年、結婚して数カ月で離婚したそうだ。それでも首位打者の初タイトルを獲得したのだから、相当にタフな神経である。
現在はマンションに独り暮らしだ。
遠征で家を空けると、ガス栓はきちんと閉めたか、ドアのカギは忘れなかったか、やたらと気にかかる。
それで、出先からよく、だれもいない自分の部屋に電話をかける。
電話をかけてみて、呼び出し音がすると、「ああ無事だ」と思うのだそうだ。ああみえて、神経質な一面を持っている。
ガサツな神経では一流選手になれないという、私の経験則は当てはまりそうである。
では、落合に三冠王は獲れるだろうか。私なりの予測はむろんある。
今シーズンはチャンスである。だいたい、ホームラン王のタイトルが三十本台の争いになるというのは、
本格的なホームラン打者がいないということだ。
……しかし予測を述べるのはやめておこう。 なにしろ、自信をなくしているところだ。
(57・9・24)
>>664
乙やでー
ホンマに三冠王とるオッチwwwwww
とにかく落合を信じろ
25歳でプロ入りして3冠王3回500本塁打は奇跡としか思えん
落合が素振りしたことないとか嘘だろうし、眉唾ストーリーだな
>>666
オッチは嘘つきなんよ
>>666
俺やってねーからといって死ぬほど練習してるのが落合
居残り練習で素振りしすぎてバットから指が離れなくなったのを稲尾さんが解いたりした模様
落合この頃から吹かしまくっとったて話やないか!
オッチのインタビューで信用出来るのはファーストならダイヤモンドグラブ取れると結婚して数ヶ月で離婚したくらいやろな
最近の監督落合との対談と比べると後にほら吹いてたのがノムには分かったんやろな。
> しれっとウソがつける、それほどの大物とは、なおさら考えにくい。
ここが一番の見立て違いだったんじゃないか
オッチの発言は逆の意味を取れば正しいと言ったのは誰だったか
ようは天邪鬼な人
>>690
江川が言ってた気がする
まあ落合としては本当に練習してないと思ってくれたら儲けモンやろなあ
オッチの発言は9割以上ブラフ、はっきりわかんだね
「狙いダマをしぼり、右へ流すか左に引っ張るか、打ち方も決めてかかる。」
この評価は正しかったように思える。

ルーキー清原の評価
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の十八歳のときなどは、クズみたいなものだったな」高知県・春野の西武キャンプで、私は清原にこういったが、
本当にそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。私が清原に会ったとき、ほれぼれとながめてしまい、
ふだん解説者として禁句にしている「すばらしい」という言葉を使ってしまった理由はほかでもない。
新人に必ずあるといってもいい、ひと目で見ぬける弱点がなかったからだ。打撃フォームは、すでに完成品だった。
内角・外角と打つポイントが一定しない例はいくらでもある。フィニッシュも安定している。タイミングのとり方、バットを移行させる軌道も正しい。
技術的な弱点の見えない十八歳の新人はめずらしい。この「見えなさ」を証拠だてる例に、長嶋と張本の清原評のちがいがある。
長嶋は「上半身は完璧、ただ、下半身の使い方が疑問」というが、張本は「下半身は完璧」と、まったく反対の意見となる。
とはいっても、私の記憶の中にある榎本、中西、張本らの一年目にくらべてみると、清原の場合、実はもうひとつピンとこないところがある。
彼らには、はっきりと未熟さが見える一方で、未知数の粗けずりな魅力があった。清原の場合、未熟さを感じるのだが、その未熟さがはっきりと目には見えてこない。
気にかかることをもうひとつ。彼の器用さである。外角球をチョンと右へ打つ。私は、ホームランの量産は意外に少ないのではないか、とみる。
器用さに流れてしまうことは弱点に通じるといっていい。不器用族と起用族、どちらが強いのか結論ははっきりしている。
>>779
完璧にあたっとるな
さすがや
>>779
プロの見る目って凄いなぁって思った(小並感)
しかしこんな的確な指摘はプロと言えどもできる人は中々いないよね
「オレは不器用だ」という自覚が「どうすればいいか?」という質の向上につながっていく。
私の出会った一流選手の多くは不器用族だった。あの金田は、はじめはストライクを満足に投げられなかった。
王については二十二年間の三振の多さ、千三百十九個という記録を指摘すれば 足りる。
清原の遅れているところは、スイングのスピードだ。いまのスイングでは速い球についていけない。
内角球に苦しむ、となると一流の打者の資格がないことになる。救いは、清原の体がまだ少年のそれであることだ。
スイングのスピードは、下半身の強化と、ムダな力を抜くことで改善できる。スピードの根源は、下半身からの瞬発力にある。
三、四年たったあとの清原が楽しみだ。この一年目、清原はそこそこに打つだろう。合格点である打率二割五分にはたぶん達すると思う。
いまのパ・リーグにはほんとうに速いピッチャーはいない。
清原のいまのスピードでも、とりあえずついていける。これは強運のひとつともいえようが、将来の大成を考えれば、危険な落とし穴と紙一重でもある
週刊朝日『プロ野球・野村克也の目』(1986年4月4日号)
なんだこの評価は(驚愕)
予言の書か何か?
清原は結局内角の苦手意識払拭しきれんかったね
ノムは鶴岡御大のカベで拾っとけやの一言でプロ入り
対する清原は甲子園の正真正銘のヒーロー
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の十八歳のときなどは、クズみたいなものだったな」
この言葉は深いね
>>807
それが三冠王と無冠やからすごい
1年目から結局大して成長できなかったんだよなあキッヨは
劣化しなかっただけ凄いのかもしれんが、逆に壁に当たらなかったのが不幸だったのかもしれん
清原は長距離砲じゃなくて天才的な中距離打者だって評価もあるくらいだしねえ
周囲が求めるものと本人の素質が違ったのかもしれない
>>841
落合みたいな「中距離ヒッターのお化け」を目指したら良かったんかもわからんなぁ
「王超え」を背負わされて押しつぶされちゃったのかもね(シンミリ
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