中日・小笠原 引退会見 「すっきりしている」

セ、パ両リーグで最優秀選手(MVP)に輝いた中日の小笠原道大内野手(41)が17日、今季限りでの現役引退を表明した。名古屋市内で記者会見し「ほっとしているというか、この日がきたなという感じ。あらゆる思いが交錯しているが、すっきりしている」と話した。
1997年に日本ハムに入団。打力を生かすため捕手から内野手に転向し、2002、03年に首位打者。06年には本塁打王と打点王でパのMVPに選ばれ、巨人に移籍した07年にはセのMVPに選出された。11年に通算2千安打を達成。13年オフに中日に移籍してからは代打の切り札として活躍した。通算成績は打率3割1分1厘、378本塁打、1169打点。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/2015/09/17/K2015091l
ああほんまに引退するんやなって…
こっちはすっきりしとらんのや
最後に一発打ってくれや
今後なにすんの?
>>19
中日二軍監督とか聞いたけど
>>30
ガチで監督やるんか
サンキューガッツ
ハゲもガッツもまだ代打で働けると思うがなあ
通算 .311 378 1169
ぐうレジェ
>>26
400いかんかったのが惜しまれる
戦犯加藤球
>>146
ほんま加藤球は何人の選手を葬り去ったのか
>>26
OPSやばすぎやろ
もったいねえな代打なら出来るだろ
>>29
通算でこの打率やしまだまだいけるよな
惜しまれながらも引退するのが理想やで
功労者でも代打の聖域になって出てくる度に死ね死ね言われるのは忍びない
会場の照明が暗いから葬式みたいやんけ

>>50
リビングみたいなカーテンだな
>>50
ガッツの後ろのおっさん寝てるやんけ
>>50
会見場って普通は記者席との質疑応答なのに囲み取材になっちゃってて草
>>50
なんか、昭和臭い会見場やな
侍用か?
2000安打350本塁打越えてて通算3割越えとか頭おかしい
てか同じ球団から2000本安打達成者が3人も同時にやめるって史上初じゃね?
>>78
まず3人同時に在籍しない
NPB約80年の歴史があって全体で50人もいないのに
ファイターズでは育ててもらい、勉強した10年間。
巨人の7年間は勉強したものを発表し、思い切り見せる7年間。
最後のドラゴンズはわがままを言わせてもらい、通してもらった2年間。
ワイ、泣く
>>161
かっこE
>>161
涙不可避
サンキューガッツ
>>161
かっこよすぎィ!
>>161
ほんまにいってまうんやね
>>161
ほんま言うことにセンスがあるわ
名言やろこれ
@jsports_dragons: 小笠原道大 引退会見? 7月の月末に足を怪我してしまい、そこで自分の心の中で区切りを、決断をしていた。しっかり走ることができないとか、そういうことが大きかった。
思いっきりプレーができない、それが心の片隅にあったので、そいういギャップで決断をした。
怪我してたんやな
>>171
すでに交流戦のときから怪しかったよな、足
スタメンで出てヒット打つのはええが、走塁は見ちゃおれんかったわ
悲しいなぁ
本当に悲しい
良い指導者になりそう
('ω`)←こいつを覚醒してくれ頼むぞガッツ
>>209
ついでに福田も頼むわ
涙が止まらンゴ
中日入り時の会見と同じ青いネクタイ?
さわやかに。せめてネクタイくらいは。顔が濃いので。青で始まって、青で終わる。
最後までかっこE
>>255
侍ですわ
巨人戦での引退試合だとすると20日か21日か
J SPORTS 中日好き ?@jsports_dragons 37分
小笠原道大 引退会見? 上手くなりたい、強くなりたい、それが根底にずっとあった。その中で走り抜けた19年間であったと改めて思う。
若手にはスタイルはどうであれ泥臭あってほしい。常に向上心をもって前を向いて突き進んでほしい。自分を信じて、後悔する前に一日一瞬を大事に過ごしてほしい。
若手ども聞こえとるか?!
>>393
もうこれ2軍監督の内示あったとしか思えないコメントやな
>>393
これは尾張の大名小笠原道大
お疲れやで

サンキューガッツ
フォーエバーガッツ
「今シーズン限りで現役を引退することをご報告させていただきます」
??現在の心境は
「ホッとしたというか、この日が来たなという…。あらゆる思いが交錯してますけど、今はスッキリしています」
??スッキリしたいう中には、どんな思いが
「プロに入ってから、1年1年が勝負だと思ってやってきて、その積み重ねが19年になったのだと。自分ではよくやったなと思います」
??やり切ったという思いも
「気持ちの中では、生涯現役だと常に思ってやってきましたので、気持ちの火というか、野球に対しての情熱は消えないと思うんですけど、ただプレーヤーとしては、自分のイメージしたものと現実とのギャップが、出てきて、最後の数年間は引退という文字を頭の中に置きながらプレーしてきた。そろそろかなと思ったときに、そういうイメージが出てきたので、決断しました」
??最終的に、決断されたのはいつごろか
「FAでドラゴンズに来たときに、まずは1年と思っていたが、1年で結果を出して、今年スタートしたんですけど、けがとかで、2軍に行くときがあった場合、そこが引き際と、頭にあったので、それが7月末のプレーであったので、そこで、心の中では区切りとして、決断はしていましたけれど」
??この打席でとか、この試合でとかいうのがあったのか
「そういうことではなくて、しっかり走れなくなったというのが大きい。思い切ってプレーできない。けがをしても、常に全力でやってきた。けがをした中で、なかなか思い切りできない部分があったので、そっちの方のウエートが大きくて、決断したということです」
??周囲には相談しましたか
「家族には1年1年が勝負と言ってきましたし、でもそこに至るまでは、自分一人で毎日の葛藤の中で、報告させてもらいました」
??家族の反応は?
「もう少し見たかったというのもあると思うし、ただ予想もしていましたので、自分が決めたことということで、理解はしてもらいました」
??首脳陣や選手には
「監督には報告させていただきました」
??監督は何と?
「『ごくろうさま』のひと言に凝縮されていると思います」
??小笠原選手のプロ野球人生を振り返って
「ファイターズは、プロ野球選手をスタートさせてもらったチームですから、育ててもらったというか、その10年間の中で、先輩がいて、プロ野球の中のことを勉強させてもらったと思いますし、ジャイアンツの7年間は、10年勉強させてもらったことを発表というか、思い切りみんなに見せる7年間で、ドラゴンズの2年間はわがままを通してもらった2年間です。3球団とも感謝しています」
??ここまでできた要因は
「いろいろありますが、うまくなりたい、強くなりたいというのが、根底にはあったと思う。その中を走り抜けてきた19年間だったかなと」
??若い選手へのメッセージは
「スタイルはどうであれ、心の中では、泥臭くあってほしい。常に向上心を持って、突き進んでほしい。いつユニホームを脱ぐがわからないから、その1日一瞬を大事に過ごしてほしい」
??今後については
「とりあえずは、きょうの時点では、この引退会見がメーンでありまして、まずはゆっくりしたいなと。その中で、いろいろな話も出てくるでしょうし、いろいろ考えて、先のことは結論を出してゆきたいなと思います。きょうこうだ、ということは断言できないです」
??野球にかかわっていくということは
「野球を通じて成長させていただいたので、恩返しするのは、自分のこれからの使命だと思っているので、これから考えて(結論を)出していきたいと思います」
??ファンには
「いいときはいいんですけど、つらいときに、ファンのかたの声援が足を一歩前に運ばせてくれた。本当に力になりました。感謝の気持ちでいっぱい」
??現役での一番の思い出と、ドラゴンズでの一番の思い出は
「聞かれることを想定はしていましたが…。1つ1つが大きすぎて、一番を上げれないぐらい。たくさんの思い出をいただいたので、いい結果、悪い結果含めて、今の自分がある。そういうことで、うまく編集してください(笑)。ドラゴンズでも、代打での打席に向かうときの声援、それが心に響いたというか、プレーの原動力になりました」
??裏方や後輩にも心配りしてきた
「最初のきっかけは、先輩方がキャンプでも差し入れをされたり、それを見て、こういうことも大事なんだなと、支えてくれる方にも、感謝の気持ちを忘れてはならないと。常にはできないけど、節目のときは、と思いやってきた。(後輩には)自分は弁が立つ方ではないので、伝わらない部分もあったかと思いますが、プレーであったり、行動であったり、見てもらっている中で、参考になったりすればいいなと、思ってやってきました」
http://headlines.yahoo.co.jp/201509170526-sanspo
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